水澤心吾が語る

決断 命のビザ 水澤心吾一人芝居が出来るまで

~杉原千畝との出会い~

それはヒラメキから始まりました。

第一のヒラメキ

それは、私が、オーストラリア国営放送のドラマ「チャンギ捕虜収容所」の所長役 に抜擢され、オーストリアに四ヶ月ほど滞在しているときの事でした。 その頃、ヨーロッパでは、香港のカンフー映画がはやっていました。 私は、ふと思いました。世界でも共感できる日本の作品はなんだろう・・・。時代劇かな・・・。と思っていた時、 以前、テレビ番組で、杉原千畝さんが紹介されていた事を思い出し、私の頭にその人の名前が浮かびました。

第二のヒラメキ

その後、杉原千畝さんを演じたいという気持ちを募らせていましたが、 すでに劇団銅羅で、取り上げている事を知りました。 それでも私の気持ちはおさまらず、 (しかし、私なりの表現で、杉原千畝という人を演じてみたい・・・。 そして、多くの人に、杉原千畝という人を知ってもらいたい。) (そうだ、ひとり芝居だ!) (杉原千畝さんは、寡黙な方だったようで、あまり、しゃべらなかったらしいがその 人物に心の葛藤をしゃべらせたらどうだろう。) そして、私は渡辺勝正氏を訪ねました。 渡辺氏は、「決断一命のビザ」を書かれ自ら出版されている方でした。 私の熱意は届いたようで、本を原作とし脚本を書く事を承諾して頂きました。 渡辺氏も、杉原千畝という人物を、より多くの人に知ってもらいたい と思う気持ちから、快く承諾して頂けたのだと思います。

心の葛藤

このヒラメキから、行動を起こして行った私でしたが、 実は心の片隅で常に葛藤がありました。 (千畝さんを演じたい。そして多くの人に、この人を伝えて行きたい。) (しかし、私は、この人を演じられるだけの愛情を持っているのだろうか? 千畝さんの家族構成が自分と似ている事もまた、 私の心を引き付けた一つの要因になっている。 でも、私が同じ立場に立たされたら、私は、どうしていただろうか? 妻と息子3人。私は、日本に、すぐに逃げ帰る事を選択しただろう。) (そんな私に、千畝さんを演じる事は出来るのだろうか?) それは、今までになかった感情でした。他の作品になかった感情。 今まで演じてきた人物に、これほど思い入れはなかったのです。

そう、杉原千畝さんの生きられた、86歳まで、私は演じ続けます。

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