決断 命のビザ~SEMPO杉原千畝物語~

ストーリー


赴任しておよそ1年たった1940年7月18日。千畝は見た。
水澤心吾・杉原千畝物語日本領事館の前に集まった群衆の目を。
彼らは、ナチスに追われ、隣国ポーランドから命がけで逃げてきたユダヤ人であった。
ナチスによるユダヤ人への残虐な迫害はすでに始まっていたのだ。
ヨーロッパのどこにも逃げ場のない彼らの要求は、
日本を通過して国外へ脱出するための通過ビザの発給であった。
群集は、百人、二百人、どんどん膨れ上がっていく。
これだけの人数にビザを出すことは、千畝の一存では決めることが出来ない。
「このままではこの人たちは殺されてしまう!何とか助けられないのか」
千畝は、悩みに悩んだ。東京の外務省に問い合わせても、ビザの発給は許可されないだろう。
水澤心吾・杉原千畝物語国に逆らえば、
職を追われるかもしれない。
それどころか、ナチスに、命を狙われる可能性だってある。
自分だけではない。
妻や幼い子供たちも。
だが、目の前の人々を見殺しにすることなんて出来ない!悩みぬいた末、
千畝は東京の外務省にビザ発給の是非を問う電報を打った。
しかし、「通過ビザと言えども発給あいならぬ」これが答えだった。
当時の日本は、日独伊三国同盟締結への道をまっしぐらに進んでいるという状況であり、 友好国ドイツに敵対する行為を、許可出来ない事情もあった。
「もう一度だけ電報を打とう」諦めることが出来ずに、こちらの緊迫した状況を訴えた。
ジリジリしながら返事を待っていた千畝が、ふと外のユダヤ人たちを眺めると、 痩せこけた小さな子供が、父親に手を引かれじっとことらを見ている。
その子供が突然倒れた。その子供と自分の子供が重なった。
水澤心吾・杉原千畝物語「あの子もこの子も同じ子供。
あの子を見殺しにすることなんか出来ない!」
漸く届いた本省からの返答は「否」であった。
千畝の心は決まった。
「もう、私一人でやるしかないのだ」

▲TOP